2015年01月13日

時間が経つと言うこと

今朝は、普段あたりまえなことに気を止めた。

沸騰したお湯が冷めるのを見て
  時間は経っているのがわかる
 そうやって、知らない間に私も老化しているんだなぁ…って。

昨日、叔父から母に電話があったらしい。
叔母が危篤であること。
叔母は、母の妹。叔父も叔母も九州中津市に住んでいる。
母の田舎だ。
私は小学生の頃、妹と夏休みのほとんどを中津で過ごした。
勿論、叔母にもお世話になった。
もう長い間会っていないので、昔の元気だった頃の姿しか覚えていない。

危篤だとわかったのは、今日昼間に母の体調うかがいのメールを入れた時。
母も調子が悪いから、どう無理をしても九州までは行けない。それでも
行けないことが悔しいと書いていた。
私が付き添って行くことも考えたが、今の体調じゃぁ、どんな交通手段を使っても難しいだろう。
それを本人が一番よく知っている。
だから、私も無理に勧めるのはやめた。

冒頭の気持ちは、半世紀以上生きてしまえば
どうも、さまざまなことで守り体勢に入っている自分に気づく。
それまでは、ずっと付き進む気構えでいたけれども、時の流れと共に
変わって来た。
無理をせず、のんびりマイペースでいいやって思う。
もともと、目標など無い人生でやって来たのだから、今更別に大きく崩れる物もない。

時の流れ。それは、小さな子どもが大きくなる楽しみはあるけれど
元気な人が弱って行くのは、つらいことだ。
未来と言う時が、待ち遠しかった頃から、いつからか不安に変化していく。
高齢者の姿を毎日目にし、自分の将来の姿と受け止めてしまうところに
行動の歯止めはある。
無謀だが「自分は一生死なない、老いない」くらいに思っている方が未来は明るいのだろう。
やりたいことだって、選択する時代から、それしかない時代に移行し、やれない時代になって行くだろう。
まぁ、そんなことばかり考えていてもいけないかね。
やりたいことはやれるうちにやらないと。

時は…音も立てずやって来て、あっと言う間に過ぎ去ってゆく。

だから見えるのだ。
今朝、自分が自転車で通ったその道を再び通る時、数時間前の自分の残像が…。
それは、数日前にも、数か月前にも数年前にも遡ったりもする。
この前、ここを私はこんな風に存在していたのだ。
(誤解があってはいけないので、正確に言うと、「見える気がする」だからね。)

冷めたお湯は、数分前は確かに沸騰していたのだ。
posted by ゆぅしゃん at 23:25 | 兵庫 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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